EZO BERRY HISTORY
エゾベリーの歴史
ハスカップに惹かれて、半世紀。
1964年(昭和39年)、三ツ野由希子さんは
読売新聞の若手記者でした。
家庭での果実酒づくりが
解禁になった頃で、
果実酒のコラム記事を書くために、
自分で作ってみるうち、
すっかり夢中になっていました。
野生の植物の芳香、色、滋味に魅せられ、
阿寒湖畔や然別湖畔、富良野岳などで、
果実の採取をする日々。
その中、地元の人たちがユノミと呼ぶ
ハスカップと出会いました。
原野を駆け巡り、摘み取り、
手のひらにのせて。
一生懸命に作ったハスカップのお酒は、
ルビー色をしていました。
そのおいしさと輝きに、
三ツ野さんは魅了されたのです。
やがて大好きな果実酒を披露するために
札幌に「手作り庵三ツ野」を開店。
そんな彼女の門出に待ったをかけたのが
酒税法でした。
工場での製造に尽力くださった
協和発酵の方など、
素晴らしいご縁がまたここから広がり、
彼女を支えていきました。
やがて果実酒だけでなく、
彼女が作るジャムは、
知事を通じて皇室に献上されるほどの
おいしさに。
それからは優れた道産品をつくる
ハスカップ研究会への参加や、
自生地サハリンの視察など、
栽培の拡大のために取り組む歳月でした。
1992年(平成4年)、新千歳空港に
ハスカップ専門店をオープン。
そして、あの洞爺湖サミットのテーブルに、
彼女のハスカップの
コンフィチュールがのりました。
でも、海外ではハスカップは
まだまだ無名です。
ハスカップの魅力を、
この北海道からもっと広い世界へ届けたい。
私たちエゾベリーは走り続けていきます。三ツ野さんの夢と一緒に。
EZOBERRY HISTORY